速読はしない たくさんは読まないし 読めない
なので読書家 ではない
ただし たぶん
愛好家 ではあると
この季節だからというのではなく 読むペースは相変わらずなものの
読みたいな 読もうかなの著者だったり 書物の類
ぽこぽこふえちゃって困るんだわ(汗)
過去の経験上
あまりに積読 背丈が伸びるとストレスたまって
精神衛生上よくないんで
読み終わりで手放してもいいか の書籍にあたりをつけて
収納スペースをおおよそ確保したうえで次を購入する
活字中毒の如き時代はなあんも考えんでばんばん買ってましたね
それないと息できんかったんかもしれん
本屋滞在最長更新したんもその頃やったし
(仕事帰りにちょいと酔った じゃなく 寄ったつもりが氣づくと閉店時間
さすがに本人もビックリ どおゆう神経してたんだか←はよ還れよ)
はまりすぎて なのか今は当時の詩人さんとか特定のシリーズとかは買わなくなりました
その時々で必要な本って 変わるんでしょうね きっと
整理できてはいないけど ある程度このあたりにこの本あって と把握しつつ
読んだり 置いたり 次へ進んだり(別の本を買う)
どっかで読んだ文がきっかけでふっと
そういや龍の起源っぽい書物を買って持ってたなあと
全部読めんでもちょっとは着手するか どうする??
いつの時点からか不明ながらかってに中野(信子)先生のとりこ🎉となり
本 読もっか📖
とはおもうものの
内容が手強そうでして 目下待機中
中野先生の本のことも ほかの件も含め意識が向くのが
自分 自己とはなんだろう と
きちんと自身で決めている 考えているようでいて
なにかに影響される
つまりは先入観 思い込みが支配しているのでは
そんなふうに
親 きょうだい 学校 社会
世間というもの あるいは 常識といわれる呪縛
本との距離のとりかた 接し方にしてもそう
病気になってはじめて
いかに 多くのものにとらわれていたか
がんじがらめにされてきたかを思いしる
つい先日 若松英輔さんの書かれたコラムにそうした記述があった
正しく読まねばならない。全部読まねばならない。教養として読んでおかなくてはならない。
これらを指して 「読書にまつわる因習」であると
実際 文字にあらわしてみると
二番目の 「全部読まねば」 については腑に落ちる
始終おもってはいないとしても買った以上は読まないといけない
もったいなくて手放せないためらいが
しかしその点にこだわっていると物理的にも精神的にも無理が生じる
必然的に 崖っぷちから離れる選択を
生きることそのものに関しても同じ
「正しく」ならばそれは何について「正しく」なのか
誰にとっての「正しく」なのか
教養にしても 身につくかどうか
本来の意味での自分の一部となるかは本人次第
知る と わかる とは異なる
間違わずにいることなどないし 間違わなければ到達できない真実もある
因習は人を縛り、自由を奪い、感性を画一化する。
社会や集団にいればきわめてやっかいな事象であり 抜け出るのも容易ではない
それでも 時に自身の立ち位置を確かめて
本当に 今の考えはみずからの手によるものか
なんらかのミスリードによっておのれで選ぶことを放棄してはいないか
もっとじたばたしていたい
読書は時空の差異を超え、よき対話の相手を見出そうとする営みだった。
◎斜字は日経新聞『言葉のちから』(2023年10月28日付)より引用
🎨大切なことを忘れないために視えない宇宙で対話する
本に関心を寄せるひとがいっぱいになるといいな🌈
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