2023年 02月 19日
死すること・生きること
2月6日はブログの日
お正月明け頃に 新聞で
「母をおくる」と題された山田詠美さんの文を拝見しました
思うところあって 自身で文章にしてみたいとやって来てますが
果たしてどうなるやら もんもん むわむわ 言語にしづらい
死 というものについて どのようにとらえますか?
総じて 世の中では触れちゃいけない みたいに避ける傾向あると
詠美さんもそうした関連のお話しをされてました
ユーモアを交えた書き方をしていると
不謹慎 縁起が悪い マイナスの反応が多くあるのだと
たしかに 受けとめ方もさまざまで
死の背景 要因によっては 穏やかでいられない
それも事実だと考えます
ただ 決して茶化している というのとは違う とらえかたもあるのでは
死にゆくひとを おくる
そのひとがいなくなったあとも 生きてゆく人々
あまりにおもいがつよすぎると
のこされたひとが活きることにさわる 現象が生じないだろうか
動かせない出来事を受けいれる
その時のために ユーモアがいきてくる
対極にある かなしみやくるしみを体験したひとでなければ
それらは生じてはこないから
生と死は 片方だけではありえない 誰もが通っていく道
死に接することで 生をより深きものととらえ 歩んでいこうとする
お墓参りの作法 表情 風景も色々
静かであり 和やかであり
たとえば日常のいたみであるとしても
そこには 人の数だけ 今は亡きひととの対話がある
詠美さんの おかあさんとの最後の時間は かなしいだけではなかった
ぴんとした空気のなかの それでいてどこか懐かしく
あたたかく紡がれる いとおしさ
自身がおくられるときはどう なんだろう
だれかをおくるとき
自分は どうあるのか
揺れに揺れ
落ちるだけ落ち
ぐじゃぐじゃになるかもだけど
それも生と死のひとつのありようだと得心できれば
『僕のたからもの』
ブログそのものは
はじめて 十六年くらいですか
その間 いくつか運営してきて
exblogにはちょうど一年ほど前
前身のブログをどうしようか
メカ音痴でも書けるのか
どうにか 続けられそうか 等々
しばし悩み
こちらに根をおろそうと観じたのは
視野にすっきりしたものがあったから
写真投稿ないとだめなのかなって思ったこともあったのですが
たしかそんな細かなことは気にしなくっても大丈夫
なムードもあったかと
かってな解釈 自己開拓に ぱあんと門戸をひらいていただけたみたいで
さらにいえば
分身ともなる文書の色相
背景
呼ばれた か 護られて か
梅の花
たまに 自身が樹木だった(かもしれない)ときをおもい
その繋がりの梅 だったりするのかな なんて
どこまで どれだけのことが書けるのかは 未知数
可能なかぎり 自分にいつわりなく
ていねいに たいせつに
旅立つおりに悔いなきことを祈りつつ
長文にお付き合いくださり有り難うございます
あなたと大切なひとが
光とともにありますように
とかしていく とかされていく 魂
はじまりはひとつ
とけあう命
雨水(うすい)
こんばんは~♪
いつかは誰もが通る道、避けては通れない道
普段は気にしないようにしていますが
もう私は両親とも亡くなっているので
自分の時はどうなのか、昔の家族と違って家族や親戚の付き合いもない
おそらく孤独なんだと思いますが
山田詠美さんのようにできるといいのですが。
前身を入れると、長くはじめていたのですね。
私も同じくらいかなぁ、ブログが流行りだして
今はSNSのほうに押され気味かもしれませんが
細々できたらと思います。
文章だけのブログも沢山ありますから、続けてくださいね。
いつかは誰もが通る道、避けては通れない道
普段は気にしないようにしていますが
もう私は両親とも亡くなっているので
自分の時はどうなのか、昔の家族と違って家族や親戚の付き合いもない
おそらく孤独なんだと思いますが
山田詠美さんのようにできるといいのですが。
前身を入れると、長くはじめていたのですね。
私も同じくらいかなぁ、ブログが流行りだして
今はSNSのほうに押され気味かもしれませんが
細々できたらと思います。
文章だけのブログも沢山ありますから、続けてくださいね。
1
> boheme0506imageさん
文章得意じゃなく 面白い話とかできそうにないなと思ってたので
ブログは心理的なハードル高かったです ここまで続けられたのが意外というか。。。
ブログが縁でお話しができたりいろんな形の交流があったり 自身にとっては
宇宙が拡大している感じで良かった点も 気持ちがゆれることもありますが
一歩ずつ 着実に進めたらと
お声かけ有り難うございます また 遊びに行きますね
文章得意じゃなく 面白い話とかできそうにないなと思ってたので
ブログは心理的なハードル高かったです ここまで続けられたのが意外というか。。。
ブログが縁でお話しができたりいろんな形の交流があったり 自身にとっては
宇宙が拡大している感じで良かった点も 気持ちがゆれることもありますが
一歩ずつ 着実に進めたらと
お声かけ有り難うございます また 遊びに行きますね
自分にとっての誰かが亡くなる、いなくなることは
生きることを思う上で大きな作用があると思います。
両親とあまり仲良くなく、
亡くしてから改めて「家族」を考えた時に猛反省しました。
それまでは子供として文句しかなかったんですよねぇ。
あの世にいったら(そういうのがあるとしたら)謝るしかない。
最期のお別れのしかたはいろいろですね。
最期として話せなかったことも、心に残ります。
生きることを思う上で大きな作用があると思います。
両親とあまり仲良くなく、
亡くしてから改めて「家族」を考えた時に猛反省しました。
それまでは子供として文句しかなかったんですよねぇ。
あの世にいったら(そういうのがあるとしたら)謝るしかない。
最期のお別れのしかたはいろいろですね。
最期として話せなかったことも、心に残ります。
> mellow-mixさん
自身が病を経て以降、死が近いものとなり生についても意識するように。
なので時折、自分のなかのもわっとした手触りを確認するために文字に
するのですがなかなかうまくいかないです。
親とかきょうだいとか表立っては問題ないと思っても自分自身の価値観だったり
とらえかただったりが変化してきて、深層部分では少々複雑になっていたり・・・
メンタル的に不良?こどもなんでやれるだけはやろうと思っていますが
「ごめん」モード比が高くなりそうです。
自身が病を経て以降、死が近いものとなり生についても意識するように。
なので時折、自分のなかのもわっとした手触りを確認するために文字に
するのですがなかなかうまくいかないです。
親とかきょうだいとか表立っては問題ないと思っても自分自身の価値観だったり
とらえかただったりが変化してきて、深層部分では少々複雑になっていたり・・・
メンタル的に不良?こどもなんでやれるだけはやろうと思っていますが
「ごめん」モード比が高くなりそうです。
by ai_iro34
| 2023-02-19 00:00
| たいせつなもの
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Comments(4)

















